2011年03月27日

恵美子と仁 アフリカ大陸上陸 第2編(バンフォラ)

ブルキナに到着して2日目の朝。
ものすごーい暑いワガから、西の観光地バンフォラへ移動。
その移動時間・・・7時間半。。。

乾燥して、ただただ暑いブルキナ東部と違って、緑の多いブルキナ西部。
たくさんのマンゴーとたくさんの緑に囲まれた、ブルキナの軽井沢◎

そんな観光地でガッツリ観光。
1日目 ドーム→滝→秘密のバオバブ→カバの湖

水と風の浸食によって、岩が神秘的な形を成すドーム。

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乾燥したブルキナでこんなにたくさんの水が見れるだけで、大感激の滝。

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バオバブの木の中に溜まる、秘密の黒い水で顔を洗ったため、この秘密のバオバブに守ってもらえるらしい・・・

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移動途中で発見した野生のカバ。

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湖では何匹もの野生のカバを発見!!こんなボートにビビル恵美子。

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そして、ボートの跡をそーっと追ってくるちびカバたち。

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2日目 ニャンソゴニ→センドゥ

灼熱の太陽の下、崖を登る。その先に待っていたのは何キロも先まで見渡せるアフリカの大地。

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そして100年前までこの山の上に住んでいた人々の住居が残る。

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ドームから続いている砂岩の山が、水と風の浸食で摩訶不思議な形を成すセンドゥー。地震のないブルキナファソだからこそ残る、その形。

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日本が大変なときに・・・もしかしたら不謹慎な旅行と思われるかもしれない。
でも、なかなか足を運ぶチャンスのないブルキナファソへ勇気を振り絞って来た2人。

文化も生活も言葉も違う日本とブルキナファソ。
日本では「大変」なことが、この国では「日常」

この2人の「当たり前」が崩れたあとに見た、ブルキナファソの「日常」
毎日が新鮮で、驚きだったようだ。

自分勝手な私が来たブルキナファソ。
そんな私を許してくれた2人に見てもらえることが、とても嬉しい。
果たして小さな親孝行・・・になっているだろうか。
posted by trekko-ayano at 08:53| Comment(1) | La vie en Afrique | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月24日

恵美子と仁☆アフリカ大陸上陸 第1篇

フランス語も英語も出来ない2人。
日本から持ってきたトランクは4つ。

その中のほとんどは・・・
もちろん食べ物。

しかもインスタント。
さすが、娘を熟知しているだけあります◎

そんな2人。道中は喧嘩したようだけれども、仲良く2人でブルキナへ到着。
「きっと空港の外に出てくるには時間がかかるだろう」とたかをくくっていた私。
飛行機の到着時間は17時40分
私が空港に到着したのは18時10分

焦って電波のない携帯をいじくっている母と
その隣で、ポーっと遠くを眺めている父を発見

久しぶりの娘との感動の再会。


かと思いきや


母の第一声は「汚っ」

一生懸命2人のために準備してたのに・・・
市役所で頼まれた用事を済ませていたのに・・・

その第一声って。。。チーン


そんな私の母は、少しネジが緩んでいるのか、よくある忘れ物。
今回の忘れ物は・・・自分の着替え。。。

オイっ。。

しかし、片手にはフランス語の指差し会話帳。
頑張ってはいるけど、いえる言葉はただ3単語。

メルシー=ありがとう
ボンジュール=おはよう
サバ=元気

それ以外はもちろんすべて日本語。
その隣で、サンキューという父。それ、英語です。

そんな不安要素の塊の2人。
旅行のはじめに私の村ベレバに連れて行くのは不安だったため、一先ず西の観光地バンフォラへ。

リゾート的なホテルに宿泊し、完全に観光気分。

去年、家族で行った台湾激安旅行。
女3人の買い物に付き合わされた父は毎晩クタクタ。
それに懲りたのか、アフリカに来る前は毎日会社まで歩いて体力をつけるよう努力したらしい。

健気・・

アフリカは、道路が整備されていないのと、乾燥からか砂埃がひどい。
そんな砂埃の汚れを嫌って、毎晩着ていたものを洗濯する父。潔癖。

脂っこい食事に、胃もたれを催す自称都会っ子の母。

何だかんだいって、昔の人は田舎暮らしにも強いのではないかと期待して連れてきた私の村ベレバ。しかし・・・甘かった。。

穴だけのトイレにはビビリ、潔癖の父はクタクタを乗り越えてグタグタ。
庭を走り回る雛に驚き、その辺を自由に歩き回る動物たちにびびる。

そんな2人を温かく迎えてくれたベレバの人々。
市長の奥さんは毎日3食、大量の手料理を振舞ってくれ
市役所からは計4羽の鶏が私の両親に送られ
村行く人は、私の両親に握手とほっぺにチューでお出迎え。

ベレバ滞在はあと1日半。
持つかな〜2人の体力。
頑張れ、恵美子と仁。

とにかく、2人+野生児の娘は元気です◎
posted by trekko-ayano at 08:01| Comment(4) | La vie en Afrique | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月02日

今更ながらの疑問

もう1週間も経ってしまったけど、2月24日はおじちゃんの命日。
おじちゃんと言っても、私の祖父。
まだ私が生まれた頃、そんなに年老いていなかった祖父母はおじいちゃん、おばあちゃんと呼ばれるのを嫌がり、それ以降ずっとおじちゃん、おばちゃんと呼んできた。

その祖父は建具屋さん。
牛久の家のドアや障子はすべて祖父のお手製。
築何年建っても、まだ全然きれいだし、ゆがんでもいないし、本当にきれいに拵えてある。

そんなことをふと思い出した瞬間に浮かんだ疑問。


何でジャパンクオリティーとブルキナクオリティーはこんなに違うんだ?!


確かに、「道具がいい」というのもあるだろうけど、
どんなに大昔に建立されたお寺さんだって、神社だって、
岩崎弥太郎の家だって、もうちょっときれいに作ってあったんじゃなかろうか・・・と。

女の子の一人暮らしを気をつかってか、水浴び場に無理やり付けてくれたドア。
表面はガサガサ、ペンキもニスも何も塗ってない、そのまんまの木のベニヤ板。

市長の奥さんのお家から借りている机。
もちろん表面はガサガサ。そして、付いている脚は斜め。
上の板も平らじゃなく、完全に歪んでいるので、パソコンさえ安定して置けない。

サソリを恐れて作ったベット。
蚊帳をつるために付けてもらった棒は若干取れかかり、ベットの脚も斜め。
このまま太り続けたら、私の体重に耐えられないんじゃないか?このベット。

おじちゃんが、うちの建具を作ったのは、もう30年近く前の話。
しかし、このクオリティーの違い。

もともと、武士の刀のようなものを作れる鍛冶屋さんがいたから、きっと建具道具もいいものができたんだろうけど、武士がいたような時代、きっと日本にも大したものはなかったであろうに。



日本もブルキナも「資源が何もない」という点では似ている。

一方は、世界のトップを争う先進国に。
一方は、アフリカの中でも最貧国と言われる途上国。

何で、日本はこんなに発展したんだ??

「日本人は良く働くから」
「経済発展するタイミングが良かったから」

日本の発展の裏には、生改さんたちの働きもあったって言うけど、
果たしてそれだけなのだろうか・・・

せっかくだから、発展して欲しい。
発展の良し悪しは別としても、経済的にも、生活水準も、少しでも向上して欲しい。

アジアとアフリカ。
気候も文化も言葉も人種も・・・違うことはたくさんあるけど、同じ人間の暮らす場所。
なのにどうしてこうも違うんだ?!

posted by trekko-ayano at 01:33| Comment(1) | La vie en Afrique | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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