2011年11月26日

旅立つとき

日に日に、大地から緑が消えていく。

青々と茂っているのは、
ユーカリ、マンゴー、ニームの木

水浴びをした身体からは、
驚くほどのスピードで水分が蒸発していく

大地も茶色。
鼻の中も茶色。

そんな乾季。

朝晩は20度前後まで気温が下がり
日中は肌に当たる太陽の日差しが痛いほど

オーブンの中に手を入れたように、日差しがが肌を打つ。

そんな、ブルキナの季節の変わり目。

何だか、お葬式が多い。
今日は、同僚の義父のお葬式。

昨晩、遅くまで鳴り響いていた
瓢箪で作った、木琴のようなバラフォンと呼ばれる楽器の音
人々の鳴く声(「泣く」声ではないので、あえて鳴くと記す)

それはお葬式の合図。

ブルキナでは、火葬はしない。
御棺もない。

若い男性が、土葬するための穴を掘り、
そこに茣蓙に包まれたご遺体を埋葬する。

日本のように、墓地があるわけではなく
彼が埋葬されたのは、自宅のすぐ隣。

「いつまでも家族と一緒にいたい」

そんな彼の意向。

ベレバに多く住むボワバ族は昔、
同じお墓に家族をみんな埋葬したそう。
掘る深さを変えて、
家族が重なり、眠るように。

でも今は、お墓に1人で眠る。
文化も習慣も、少しずつ変わるようだ。

日本の火葬の話をしたら、かなり衝撃を受けた模様のブルキナベ。
ショックで最初は言葉を失っていたくらい。
でも、骨だけにになっても「家族は同じお墓に眠る」と話したら、
ボワバ族の古い習慣を思い出したらしい。

日本とブルキナ

大陸も違うし、民族も、人種も違う。
でも、何だか共通点も多い、
そんな日本とボワバ族。

日本語の「おいしい」は、ボワバ語で「オシン」

ほら、似てるでしょう?

人と「違う」ことを探すのは簡単。

でも、

人と「同じ」ことを見つけることで
人と「近く」なるのかな。

今日は埋葬の儀式。
明日はお葬式。(精進払いのようなものかな)

たくさん食べて、たくさん飲んで、たくさん踊って、たくさん歌って、
故人を偲ぶ。

人生を全うした故人へ
心から、冥福を祈る。
posted by trekko-ayano at 06:57| Comment(1) | La vie a Bereba | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月24日

橋になること

下から突き上げるような衝動
ジェットコースターが落ちるときのような内蔵の浮遊感

内臓がひっくりかえりそう

そんなブルキナのバス移動。

ベレバからウンデまで1時間。(この1時間は砂埃との戦い)
ウンデから首都まで3時間半。(こっちはジェットコースター)

ただバスの中に座っているだけなのに、何故かぐったりする移動。

具合の悪いときには、絶対に乗りたくない。
ましてや胃腸の具合の悪いときは、最悪。

土曜日に首都にあがり、日曜に帰る。
そんな予定で首都にあがったものの、
久しぶりの豪勢な食事に、私のブルキナベ化した胃腸はびっくり仰天してしまったらしい。

日曜は…結局動けず。
トイレとベットを行ったり来たり。

月曜にようやく動けるようになりベレバに帰ってきたものの、
調子に乗って、大好きなマダム宅のトーをバクバク食べたら…

極度の胃痛に襲われ…

再びダウン。。。

どんなに具合が悪くなろうと、食欲だけはなくならかった私。
ブルキナに来て、初めて食欲が…落ちた。

お陰で、マダムたちは大心配。。

「ごはん今日は食べない」

なんて言ったもんだから、ものすごーく心配してもらっている。
本当に、私の家族。

ちょっとでも「あやのが具合が悪い」という情報を聞きつけると、
すぐに様子を見に来てくれる。
「食べれるものは?」「お粥、作ろうか?」
本当に、お母さんみたい。

何にも知らない、
何もできない子どもみたいに、

いろんな人が面倒みてくれる。

どこに行っても、温かい家族がいる。
本当に、私は幸せ。


と、話は戻って、週末の首都。

日本では有名な、ソーラン節。
私が始めてソーラン節を見たのは、金八先生だっただろうか…

来週、クドゥグという街で、ソーラン節を踊る。

という訳で、ソーラン節の全体練習のために首都へ。

練習をちょっとしただけなのに、すでに足がフルフル…子鹿さんのよう 笑

首都に上がると、おいしいものが食べれる。
首都に上がると、思いっきり日本語が話せる。

だけど、なんだかやっぱりさびしくなってしまう。

小さな妹のように甘えてくる子どもたちや、
娘のように膝に乗ってくる子どもたちがいないだけで。

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どんなにおいしい高級レストランでごはんを食べても

豪快なマダムの笑い声や、
みんなで「おいしいね」って言いながら食べる、トーが恋しくなってしまう。

首都に上がると、思い出される退避の日。
本当に寂しくて、悲しくて、悔しくて
あんな悲しい思いをもう一度、経験しなければいけないなんて。
しかも今度はいつ帰ってこれるか、いつ会えるのかわからない。

日本に市長一家を招待したいけど、
航空券を4人分も払えるかな…。

いつの日か、ブルキナの子どもを日本に招待してみたい。

私が15歳のとき、初めてアメリカにホームステイしたように。
きっと、何か新しい刺激を与えてくれるだろう。
でも山崎豊子さんの本を読んだら、財団を立ち上げるには3億円もいるらしい…
(ちなみに、彼女は中国に残された残留孤児への財団を立ち上げたらしい)

う〜ん。。

財団は無理でも、何か他の方法で、
ブルキナと日本の架け橋ができないものだろうか…

お腹のグルグル鳴る音と共に、
頭もグルグル、考える。

PB130986.jpg
posted by trekko-ayano at 18:27| Comment(1) | La vie a Bereba | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月17日

忘れちゃいけないこと

市長の奥さんの家の前から上がる煙…

一体何事?!

と思って近づいてみると。

とうもろこしの脱穀中。

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PB141003.jpg

PB141004.jpg

なんでこんなにきれいにとうもろこしの芯だけ取り除けるんだ?!
機械の中がどうなってるのか気になる。

市長のマダム宅には、
今年作った、とうもろこし保存用の納屋(屋根もないから、とてつもなく大きな籠)がある。
そこに山済みだったとうもろこしをかき出す子どもたち。

PB141005.jpg

ベレバにたった一人の日本人。
いつも一緒にいるのはブルキナベ。

私をイラッとさせるのもブルキナベ
私を悲しくさせるのもブルキナベ
私を困惑させるのもブルキナベ

でも、

私を笑顔にしてくれるのもブルキナベ


もうかなり前になるみたいだけど、
東京新聞で、協力隊の国外一時退避のことが記事になったらしい。
今年に入ってから、エジプト、チュニジア、ニジェール、シリア、ブルキナと
国外退避のオペレーションが続いた。

渡航費や、日本国内にいる間に支払われる待機手当の総計は
かなりの額になった模様。

風の便りによると、新聞内ではかなり叩かれていたよう。

日本の皆様が、汗水たらして働いて、
払ってくれた税金で、私たちは活動している。
それを貰って活動している私たちは、叩かれてもしょうがないのかもしれない。
確かに、「そこは無駄だろう」と思うこともない訳ではない。


私たちの2年間の経験が、
直接何かを日本にもたらす訳ではないだろう。

でも、

この2年間の経験は、決して無駄にはならないだろう。

そう思う。

何が自分に残るのか、まだわからない。
何が自分に残せるのかも、まだわからない。

試行錯誤してみる、もがいてみる、壁にぶち当たる
そんなことが、きっと自分の糧になる日がくる。

そう思う。

だた、感謝の気持ちも忘れちゃいけない。
こんな経験をさせてもらって、ありがとう。

そしてブルキナベにも。
いつもありがとうの気持ちを忘れちゃいけない。

私に笑顔をくれる人たちに。
ありがとう◎
posted by trekko-ayano at 18:58| Comment(1) | La vie a Bereba | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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